7月 2018

故人との思い出も確執も、私たちに教えてください

遺品整理のご相談をいただいた時には、できるだけ色々なお話を伺えるようにこちらからたくさん質問させていただくようにしています。

それはもちろんお見積りのためというのもあるのですが、故人がどんな人だったのかというのを少しでも知りたいと思う気持ちのほうが強くあります。
たくさんのご遺品を整理していく中で故人のお人柄は何となく見えてくるものではありますが、やはり直接故人を知る方からのお話も貴重であるからです。

ただしそこでご依頼者から伺うことのできるお話は、必ずしもいい内容ばかりとは限りません。
故人とそれほど仲がいいわけではなかったという方もいらっしゃるため、こちらから色々とお聞きしたくても最低限の時間しか割いていただけないこともあります。

そうした方は、遺品整理を面倒事だと捉え、「明確な金品類以外は全部処分していい」といった内容のご依頼であることが多く、実際に作業をする側としてはシンプルでわかりやすいご依頼がありがたい反面寂しい気持ちにもなってしまいます。

ご遺品は、故人がそこに確かにいたという証であり、わかりやすくお金になるもの以外をすべて捨ててしまうことは、故人との繋がりやその感情さえも無くしてしまうように思えてしまうからです。

だから私たちは、ご相談者にはできるだけ故人のお話を聞かせていただきたいと思っています。

故人はどんな方で、ご相談者とはどんなご関係で、直近の連絡はいつごろで、その時どんな話をしたのか。
あるいは、故人とはいつごろからよく話したり会ったりするようになったのか、いつごろから疎遠になったのか。
そして、ご依頼者は故人の逝去にどのようなご感情を抱き、ご自身ではそれをどのように思っているのか。

お話いただける範囲で、できるだけ故人とご依頼者のお話を聞かせていただきたいと思っています。

それこそ故人との思い出話から確執まで、どんなことでも構いません。

そのようにしてお話を聞かせていただけたほうが、ご遺品に対する私たちの見方もかなり変わるからです。

どんなご依頼であっても丁寧に業務に当たらせていただくのは当然ですが、そうしたお話を伺っているのといないのとでは、ご遺品に対する私たちの気付きや直感が違ってくるのです。

走り書きされたノート、アルバム、手帳に挟まれた写真、本棚、室内の飾り、などなど…
詳しいお話を聞けていれば、それらの些細な部分に目が留まり、「ひょっとして」を感じることがあるのです。

ご相談者から伺ったお話と故人の実際の感情とが違っている可能性に思い当たったり、誤解からのすれ違いが起きている可能性に気づいたり…

心に触れる遺品整理を目指している私たちにとって、そうした気付きや直感は非常に重要なものです。
その気付きを1つでも多く得られるように、故人に関するお話はどんなことでも伺いたいと思っています。

 

願わくば、遺品整理を通してご遺族が少しでも多く故人の存在と本音に思いを馳せることができるように。

実家の片付け、その辛さと難しさ

実家の片付け

実家の片付けとは、おそらくどんな人にもいずれ訪れる事柄の一つであるでしょう。
今はまだ、時間もないし忙しいし、そのうちじっくりとやっていけばいいだろうと考えている方も多いと思います。

しかし私たちの経験から言えば、そうした見込みは外れることがほとんどであるのが正直なところです。

そこで本日は、その実家の片付けということについて具体的にどういったことが大変なのか、3つのポイントをまとめてみました。

 

1.分別作業

実家ですから、当然そこに残っている品物は非常にたくさんあることでしょう。
捨てるとなったら、実家のある自治体の決まりに従って燃えるごみや不燃物やビンやプラスチック、といったように分別しなければなりません。

しかし何十年も住んできた実家にどれだけのものがあるかを考えると、この分別の手間というのはそれだけでものすごく大きなものとなることは間違いないはずです。

さらに、膨大な量の品物に対して具体的にどのように分別するのが効率的なのか、その試行錯誤にも時間を取られてしまうことでしょう。

 

2.搬出作業

捨てるとなって、分別も何とか終わったとしても、次に必要となるのはそれら全てを外まで運び出す作業です。
私たちの間ではこの運び出す作業を「搬出」と呼んでいますが、これもまた凄まじいほどの負担と労力を必要とすることでしょう。

実家が平屋ならまだいいですが、2階建てや3階建てとなると、上から抱えて下ろしてくるだけで相当過酷な作業となるはずです。

ただでさえ少ない時間の隙間を見つけて片付け作業をしているのに、体力的に非常に大きな負荷がかかる処分品の搬出作業は、下手をすれば仕事にも影響が出かねないものです。やればやるほど疲れていくことで、どんどん作業のペースは落ちていくことが予想されます。

 

3.捨てるものと捨てないものの選択

あえて最後に持ってきましたが、これが最も労力の要る作業です。
おそらく皆さん想像できることではあるでしょうが、実際にはその想像以上の負荷が待っています。

実家にあふれるおびただしい量の品物全てに対して、1つ1つ捨てるか残すかを選択していくこの作業。

出てくる物はどれも懐かしさや珍しさにあふれた品ばかりで、簡単に捨てようと決めるには久々に見つけた感慨深さを拭いきれない。
その気持ちを振り払って、捨てるかどうかを決断していくことは、精神的に大きな大きな疲労を招きます。

実家ですから、出てくるのは両親の所有物だけではありません。かつて自分が愛用していた品々もたくさん見つかるのです。
これから使うことはまず無いかもしれないが、捨ててしまうにはあまりにしのびない品物たち。
しかし今の家には保管して置ける場所がない故に、どうしても捨ててしまわないと実家の片付けが終わらない。

この葛藤を何とか抑え込んで決断を下すのに、どれほどの精神力が必要か。

これによる精神的疲労が片付け作業を大幅に遅らせるのです。
そして、片付け作業に対する意欲をどんどん失わせてしまうのです。

こんなに辛いことをなぜわざわざ仕事の合間を縫ってやっているのか。
まだまだ先でいいじゃないか。

そう思ってしまえば、すっかり作業の手は止まってしまいます。

しかし、片付け作業そのものの必要性は全く無くなることはないのです。
それどころか、両親の健康状態や家自体の劣化具合など、時間が経てば経つほど大きくなっていきます。

必要性が大きくなることはあっても小さくなることはまず無い。
なのに、自身でやろうとすれば想像を遥かに超える肉体的・精神的負担が襲ってくる。
「実家の片付け」にはこうした側面があります。

まだまだ先でいいと思っている方々は、自分の体が元気な早いうちに実施することを真剣に考えることをお勧めします。