8月 2018

両親の交友関係、どのくらい知っていますか?

先日、親戚に不幸があって法事のため帰省した社員がおりました。

週末を使っての急な帰省だったことでとても疲れたと言っていましたが、話を聞いていた中で興味深かったことが1つ。

葬儀に際して、故人の息子さんが「死去の事実をどんな人に知らせればいいのかわからなくて困ってしまった」と言っていたそうなのです。
ここ数年施設のお世話になっていたことで、故人が外出することはほとんどなく、また携帯電話も持っていなかったため友人関係もさっぱりわからなかったのだとか。

結果としては、かつて習い事をしていた先や年賀状などから親しかったらしい人をたどることが出来て、親戚以外にもどうにか友人知人にあたる方々へ連絡できたそうですが…

人付き合いが希薄化していると言われる昨今、こういうこともあるのかと思いました。

最も身近な存在であるはずの親の交友関係がさっぱりわからない。
それは、故人との別れを惜しむ人、故人が別れたくなかった人、それらの人に大切な連絡が伝わらない可能性を意味します。
そうなってしまったとしたら、故人の供養という意味では不十分な面が出てきてしまうかもしれないと。

 

あなたの場合はどうですか?

この話を聞いた時、自分の親の場合はどうだろうと考えました。

そういえば、自分も両親の交友関係などあまり知らないなと。

今すぐのことではないとしても、いずれ自分の親が亡くなった時、親戚以外にどういう人にその事実を連絡すればよいのか。
それは、親の交友関係、友人関係というものを多少なりとも把握していなければ難しいことです。

携帯電話を持っている人でも、電話帳の中のどの人と仲が良かったのか。
電話帳に番号が登録されていても、全員が仲が良かった人であるとは限りません。

上述のように、亡くなるまでしばらくの間を施設のお世話になっていたとすれば余計に交友関係も限られてしまうこともあるでしょう。
認知症を患ってしまったり、気分が落ち込んだりして「誰にも会いたくない」と言い始めてしまったりしたならば、なおさら人付き合いが減っていくことになります。

それも含めて、エンディングノートなどにしっかりまとめられていれば、遺族が困ることも減ると思われますが…

いずれにしても、「その時」になって慌てなくても済むようにしておきたいものです。

放置し続けた実家の行く末は空き家。

空き家

悲しいことですが紛れもない真実です。

仕事が忙しくて、家族の問題があって、自身の趣味の時間も必要で…
親や実家のために使う時間を後回し後回しにし続けた結果が生むのは、「思い出のある実家」が「誰もいない空き家」に変わり果てた姿です。

家の中には両親が使っていた家具や寝具、衣服や日用品が山のようにあるとしても、誰も住んでいないのならばそれは空き家です。

家から人の気配が消えて間もないならまだ「実家」としての印象は保たれているでしょうが、だんだん時間が経つに連れて、実家よりも空き家としての雰囲気が強くなることでしょう。

それは、時々手入れに行っていたとしても同じです。結局は中の遺品や家そのものをどうにかしない限り、細々と手入れするだけでは「実家」が「空き家」に変わっていくのをわずかに遅らせる効果しかないからです。

玄関や門の周り、あるいはお隣との敷地付近など、よく人目につく部分を重点的に手入れしておくのは空き家っぽさを薄めるのにある程度の効果はあるでしょう。
しかしそれも根本的な解決になるかといえばそうではありません。

実家に遺った両親の遺品を整理し、自分が以前愛用していた品物も片付け、その後に家自体はどうするのかを決める。
自分たちが移り住むのか、あるいは親戚の誰かが住むのか、または誰かに貸すのか。
もう誰も住むことがないのなら、取り壊して家以外の形で土地を再利用するということも選択肢の1つです。

いずれにしても、住む人のいなくなった実家というものについて、その後どのように扱うのかを決めてしまわなければ「空き家」として残り続けるだけになります。

かつて自分が過ごした実家。両親と楽しく過ごしていた実家。帰る場所だったはずの実家。

その大切な家が、誰にも使われないまま無人の状態でただそこにあるだけという状態になってしまうのは、非常にやるせないものであるでしょう。

少子化の問題が叫ばれている昨今では、人口の減少に伴って空き家が増加していることも社会問題の1つとして取り上げられるようになってきました。
無人の屋敷に不審者が入り込んだり、伸び放題の草や枝に害虫がわいたり、愉快犯が放火したりと、空き家が1軒あるだけで色々な危険性が生まれます。

大切な実家をそんな空き家にしてしまわないように、なるべく早いうちから計画立てておくことが必要ではないかと思います。

だからと言ってすぐに何とかしてしまわないといけないということはありませんが、いつかは腹と覚悟を決めて選択しなければならないものです。
焦って取り掛かっても逆に良くない結果になってしまう場合もあります。

気持ちが落ち着き、時間的にも多少のゆとりができた段階でしっかり考えることが、自分にとっても両親にとっても一番いい結果につながるのではないでしょうか。

法に触れずに心に触れる遺品整理~靴磨き~

法に触れずに心に触れる遺品整理~靴磨き~

蒲原です。
今回も、私の印象に残っている遺品整理業務をご紹介します。

 

県内からのご依頼者

福岡県内にお住まいの方から、同じく県内にあるご実家の整理のご依頼を受けたときのことです。
お父様はすでに他界され、お母様も施設に入られるということで、誰もいなくなってしまうご実家を片付けたいとのご依頼でした。

しかし、やはりご実家ですからご依頼者の思い入れは非常に強く、ご自身だけでなくご両親が大切にされていたものも多くあることから、とって置きたいと思うものと処分するものとをなかなか決められないでいらっしゃいました。
そこで私たちからは、種類別に品物を分けてその中でとっておきたいものと処分するものとに仕分けていくことを提案、多くの品物を私たちが種類別に分けてまとめ、その中からご依頼者にとって置きたいものを選んでいただくことにしました。

お母様が好きだった服、お父様が愛用されていた腕時計、あるいは本にノートにハンカチなど、やはり多くの思い出や懐かしさがこもった品物が多く、一度「処分する」とされたものの中からも「いや、やっぱり…」と考え直されている場面も何度もありました。

 

靴の発見

そうした作業の中で、施設に入られたお母様が普段使いにされていたという靴をいくつか見つけました。同じ場所には他界されたお父様の靴も一緒にあり、これはどうなさいますかとご依頼者に尋ねると、「汚れてしまっているし、それは処分で…いや、でも…」とお悩みの様子。

そこで、「ではご両親のそれぞれ一足分ずつをとって置かれるようにしてはいかがですか?ひょっとしたらお母様は施設からまたこちらに戻ってくることもあるかもしれませんから」とご提案したところ、「そうですね、それがいいです」と嬉しそうに仰ってくださいました。

いい提案ができたと自分でもいい気持ちになったのですが、靴を見ると非常に汚れが目立つ状態になっています。これでは、せっかくとって置いたとしても履くには履きづらいし、保管場所にも困るかもしれないと思った私は、そういえば自分の家に靴磨きのセットがあったと思い出し、翌日の作業日に持ってくることにしました。

 

翌日、他の品物の整理作業を仲間に任せて、持ってきた靴磨きセットでこっそり靴を掃除していると、ご依頼者に見つかってしまいました。

 

何気ない気遣いへの大きな感謝

「そこまでしていただけるんですか?」

本当は綺麗になった後でお見せしたいと思っていたのですが、「ええ、せっかくとって置くものですからきれいなほうがいいだろうと思いまして」と答えると、涙ぐんで御礼の言葉をくださいました。

品々の選別にどうしても迷ってしまうくらいご実家とご両親に愛情のあったご依頼者は、たまたま見つかった靴を掃除してもらっているのが殊のほか嬉しく感じられたそうです。
私にとっては何気ない気遣いのつもりだったことでしたが、ご依頼者には非常に感謝していただけた瞬間となりました。

相手のことを思い遣った行動を実践すること。「こころに触れる遺品整理」とは、人としてのそうした根本的なところから生まれてくるものでもあるのだなと感じたことを覚えています。

こうした気遣いが普通にできる社員をもっと増やしていきたい。仲間や後輩たちへの指導と教育への決意を新たにした場面でした。