こんにちは堀川です。
今回は特殊清掃のサービスをおこなうにあたって、私がいつも思っていることを書きます。
「死」は誰にでも平等に訪れるものという言葉があります。
ただそれがいつなのかは誰にもわかりません。
当社にご依頼いただく特殊清掃の案件は、心臓に関わる病気で亡くなり、そのままになってしまっていた場合が多くあります。
「立ち上がろうとした時」や「廊下を歩いていた時」などその場面は様々で、警察がご遺体を運び出した後であっても、その「痕跡」から倒れられた時の様子が窺えます。
清掃作業に入る際には故人に対して必ず合掌をさせていただくようにしていますが、手を合わせている間には色々な気持ちが湧き上がってきます。
一人きりで亡くなっていたことへの寂しさ、もっと早く発見することができなかったのだろうかという現代の風潮に対するやるせなさ、それでも今の時点でようやく発見されたことへの安堵など…。
第三者である私たちでさえそうなのですから、ご遺族はなおのこと色々な気持ちでいっぱいになっていらっしゃるでしょう。
私たちがきちんと特殊清掃業務を行うことで、それらのお気持ちを少しでも和らげられればとずっと思っています。
ご依頼をいただいたからにはご依頼者の心に触れ、寄り添う気持ちで仕事をさせていただいていますが、私は作業をしている間、まだそこに故人の魂が留まっているように感じています。
もちろん私がそう感じるだけで、周りから見ればそこはなにもない空間でしかないのですが。
この仕事をしていると合理性や論理を超えたものがあることはよく感じますので、そこに魂がまだ残っているかもしれないというのも一概に否定したくないなと思っています。
ですので、ご遺族のお気持ちだけでなく、まだそこにいらっしゃるかもしれない故人にも寄り添うつもりで特殊清掃業務をさせていただいています。
そして、特殊清掃の業務が終わると急に家族や親戚のことが心配になるのもいつものことです。
出来るなら、私たちが特殊清掃をする必要がないようなつながりのある未来になって欲しいものです。